没後90年記念 岸田劉生展

《道路と土手と塀(切通之写生)》重要文化財
1915年11月5日 東京国立近代美術館
いつも思うことですが、駅の改札口を出て5秒で美術館に入れるのはここだけでしょう。本当に便利で、天候が良くない時はとても助かります。その東京ステーションギャラリーで「麗子像」でつとに有名な岸田劉生展が開催されています。
岸田劉生(1891-1929)は、日本の近代美術の歴史において最も独創的な絵画の道を歩んだ孤高の存在です。劉生は若くして早世したので彼の作品がどう円熟していくのかを見るという機会はありません。なんとも残念なことです。しかしながら劉生の殆どの作品に制作年月日が書かれており、それによって彼の絵画がどのように変遷していったかが確実にわかるのです。短い作家活動の中でも変わりゆく画風がわかるように、展覧会の流れも年代順に追って展示されています。
《銀座と数寄屋橋畔》 1910~11年頃 郡山市立美術館
展覧会構成は岸田劉生の作品制作順、イコール彼の絵画の道をたどるようになっています。第一章では「第二の誕生」まで、として、雑誌「白樺」を通して文学者の友人達との交流により、芸術家としての自己を生かす最善の道を歩むことの正しさを知った時期の作品です。
《B.L.の肖像(バーナード・リーチ像)》 1913年5月12日
東京国立近代美術館
第二章では「近代的傾向・・・離れ」から「クラシックの感化」まで、として主題が肖像画に移ります。自身の肖像画から高村光太郎、バーナード・リーチ、武者小路実篤、千家元麿、志賀直哉等々興味深い作品が並んでいます。一つ一つ背景も色彩も意識的に限定されて、モデルとなった「人間の顔」に視線を集中させて、大振りな筆致から繊細な筆致へと写実描写が細密になっていきます。
《黒き土の上に立てる女》 1914年7月25日
似鳥美術館
第三章「実在の神秘」を超えて、では、これまで肖像画と自画像の連作の合間に描かれた風景画に新たな道を見出しています。
《壺の上に林檎が載って在る》 1916年11月3日
東京国立近代美術館
《路傍秋晴》 1929年11月 吉野石膏株式会社
第四章「東洋の美」への目覚め、において劉生は写実を極めることで「内なる美」を「外界の形象に即した美」に昇華できたと確信しています。1919年から1921年にかけて愛娘麗子を集中的に描き、水彩にしてからは「内なる美」が日本画に通じていると感じています。麗子を慈しんでいたのもよくわかります。
《麗子微笑像》 1921年10月1日 上原美術館
第五章「卑近の美」と「写実の欠除」を巡って、と題され、大震災から京都に移り住んだ劉生にとって東洋の美術をより身近に感じ、東西の美について論じるようになりました。曰く、神秘的で静的で無為の自然物的な東洋にこそ、美の深い境地があるとまで言っています。
《竹籠含春》 1923年 4月9日 個人蔵
「新しい余の道」へ、と題された最後の第六章は、京都から鎌倉に移った時期の作品群です。京都では酒や茶屋遊びでだいぶ放蕩な生活をした結果、困窮のうえに移った鎌倉で日記には「今年は本当にいい年にしたい。酒や遊びと遠ざかり、家庭を幸せにし、よりよき仕事の道を見出し、よき絵をかき度い。この頃又新しい余の道が開けて来さうにも思はれる」とあるそうです。しかし残された時間はあまりありませんでした。
《自画像》 1921年4月27日 泉屋博古館分館
150点以上の岸田劉生作品が一堂に会し、見応え充分です。会期中、一部展示替えがあります(前期=8/31~9/23、後期=9/25~10/20)。
開始日 | 2019/08/31 |
終了日 | 2019/10/20 |
エリア | 東京都 |
時間 | 開館時間 10:00~18:00(金曜日は20:00まで 入館は閉館の30分前まで) |
休日 | 休館日 月曜日(9月16日、9月23日、10月14日は開館)、9月17日(火)、9月24日(火) |
その他備考 | 入館料 一般1100円 高校・大学生900円、中学生以下無料 |
開催場所 | 東京ステーションギャラリー |
アクセス | 〒100-0005 東京都千代田区丸の内1-9-1 ☎03-3212-2485 JR東京駅丸の内北口改札前 http://www.ejrcf.or.jp/gallery/access.html |