生誕110年 東山魁夷展

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《道》1950年、東山魁夷、東京国立近代美術館蔵

東山魁夷(1908-1999)が好きな人にとってはたまらない展覧会が国立新美術館で開催されています。12 月3 日(月)まで、「生誕110年東山魁夷展」と題した大規模な回顧展です。

明治41年(1908)横浜に生まれ、神戸市で育った東山魁夷は、東京美術学校を卒業しドイツ留学後、太平洋戦争への応召、肉親の相次ぐ死といった試練に見舞われますが、そうした苦難のなか風景の美しさに開眼しました。自然と真摯に向き合い、思索を重ねながらつくりあげたその芸術世界は、日本人の自然観や心情を反映し、高く評価されています。この展覧会では、国民的画家と謳われた東山魁夷の代表作《残照》、《道》、《緑響く》などのほか、京都の古都の面影を描いた作品を通して、画業の全貌をたどります。また構想から完成までに10 年を要した、奈良・唐招提寺御影堂の障壁画(襖絵と床の壁面全68面)の再現展示は圧巻です。

其々の展示室の作品を見ていくと、かさつく心が癒され、郷愁を覚えてしっとりした心地になり、遠い地へのあこがれにため息し、怒涛の自然に掻き回される興奮を覚え、そして静かな呼吸が身体中を落ち着かせ清められていくような展開です。約70件の名品によって20世紀とともに生きた東山の作品世界を堪能できます。

1章    国民的風景画家

《残照》   1947年、東山魁夷、東京国立近代美術館蔵

東山が東京美術学校研究科卒業後にドイツ留学し、帰国後の官展で特選を受けたのは《残照》です。それは第3回日展に出品したもので、学校時代の仲間が受賞してからかなり後のことです。終戦前後に両親、弟がなくなって妻以外の身寄りもなく自宅も空襲で失い、どん底にいたそうです。そんな中で千葉県鹿野山の山頂に座り、沈みゆく太陽が、はるかに連なる峰々を刻一刻と様々な色に染めていくさまに、この自然が自分の心の動きと重なり合う充実感を得ました。東山は気負うことなく素直な目と心で自然に対し、その自然の生命力を風景画に表しています。日本中を写生して回り、写生地の特色を残しつつも普遍化された東山の作品が、私たちにとってよく見知っている風景に見えるのが「国民的風景画家」と言われる所以でしょう。

2章 北欧を描く

《冬華》 1964年 東山魁夷、東京国立近代美術館

昭和37(1962)年に東山は北欧に行きました。日本中を回るなか、厳しい自然に溢れる木曽路や北の山国への旅は温暖な瀬戸内海の島で育った東山には未知の世界であり、怠惰になりそうな自分を戒めるものがありました。ドイツで美術史を学び感覚的に明るい南に文化に惹かれつつも、精神的で静かな北の文化に親近感も覚えていました。《残照》《道》を発表以来、皇室の仕事や百貨店の仕事もきて人気作家になっていましたが、安定した地から抜け出ようと北欧へ旅立ちます。白夜の森林はこうなのかと《冬華》をみると、冷たくも清らかな空気に気が引き締まります。

3章 古都を描く・京都

《花明かり》 1968年 東山魁夷、株式会社大和証券グループ本社

北欧に旅立つ前から、川端康成には変わりつつある京都の今を描き止めるように勧められていました。北欧からの帰国後、皇室から新宮殿の大壁画を依頼され、日本古来の文化の粋の集まる京都の町を描くことに取り組みます。昭和43年(1968)年「京洛四季」展で連作が発表されます。北欧シリーズとは全く違う、大和絵的側面が新たな魅力として加わりました。あまりにも有名な《花明り》はお寺も塔もなくても、ザ・京都と思わせます。

4章 古都を描く・ドイツ、オーストリア

京都を描いた翌年、東山はドイツ、オーストリアへ旅立ちます。遍歴(旅)と回帰を繰り返す画家にとって、2年間留学したドイツは京都と同じように懐かしい町で、堅牢な石造りの建物や街並みに古都の魅力である文化の蓄積が、京都および日本に相通じるものを感じたのではないでしょうか。《窓》にある錆びた朱色の窓の戸は懐かしい日本の鳥居の色に似ていませんか。

5章 唐招提寺御影堂障壁画

唐招提寺御影堂障壁画のうち、《山雲》(部分)1975年、東山魁夷、唐招提寺蔵

唐招提寺御影堂障壁画のうち、《濤声》(部分)1975年、東山魁夷、唐招提寺蔵

さあ、どうぞ、と思わず声をかけて人を案内したくなる展示です。昭和46(1971)年奈良の唐招提寺から依頼された開山・鑑真和上の像を安置する御影堂障壁画制作と御厨子内部装飾は、10年の歳月を費やす超大作となりました。

渡航失敗で失明しつつも6度目にしてようやく日本の地を踏んだ鑑真。その鑑真が見たかったであろう日本の風景を描いた《山雲》(山の代表)を上段の間床及び違棚の貼付絵と襖絵に、《濤声》(海の代表)を宸殿の間襖絵に、それぞれ描き、第一期の仕事として50年に奉納しました。そして和上の御厨子を取り囲むように設置される松の間には、出身地である揚洲の風景を襖に《揚洲薫風》を、両隣にあたる梅の間と桜の間には、第5回渡航に失敗した和上が1年間滞在した桂林の風景を襖に描いた《桂林月宵》と、中国の景勝地を代表する黄山の風景を襖に描いた《黄山暁雲》をそれぞれ配し、第二期の仕事として55年に奉納しました。56年最後に残った御厨子内部に、和上が初めてたった日本の土地である鹿児島の秋月浦風景を描いた《瑞光》を奉納したとき、構想から10年の歳月が流れていたのです。《山雲》《濤声》の制作にあたっては、すでに多くの日本の山と海を描いていたにも関わらず、改めて日本中を取材して回ったそうです。また、中国の取材は3年に渡って3回訪問し、初めての水墨画にも挑戦し、画域を広げました。和上を思い、和上のために、そして和上を尊敬するがゆえの風景画です。東山の思いと和上の願いが交錯してこちらに伝わってくるようです。

この唐招提寺障壁画の作成中に、東山はまったく新しいモチーフを生み出します。《白馬のいる風景》です。後に東山は、自らの「祈り」の現れであろうと述べているそうですが、仏教を伝える使命を艱難辛苦を乗り越え達成した鑑真和上に重ねるかのような心持ちにだったのではないでしょうか。

6章 心を写す風景画

《白い朝》  1980年、東山魁夷、東京国立近代美術館蔵

《唐招提寺障壁画》を完成させた東山は、描くことが「祈り」であると認識し、描き続ける意味と悟り、価値を見出していきました。益々描くことに没頭し、外出もままならずとも今まで旅して見つめた風景やスケッチをもとに制作し、そのうえで生み出された作品は日本でも外国でもなく、特定の地から離れ、みずからの心の風景となり、自由自在に自然の一分を鮮やかに切り取り描いています。どの作品にも懐かしい思いや既視感を感じるのは、東山の心の内にある風景が豊潤で、あらゆる季節が取り込まれ、そこから的確に一場面を抽出できているからだと思います。

《行く秋》  1990年、東山魁夷、長野県信濃美術館 東山魁夷館蔵

豊かな、そして平らかな気持ちで美術館をあとにしました。

展覧会ホームページ

国立新美術館ホームページ

東山魁夷ポートレート(1984年・75歳) 撮影:日本経済新聞社

 

開始日2018/10/24
終了日2018/12/03
エリア東京都
時間開館時間 午前10:00~午後6時(金曜、土曜は午後8時まで)入場は閉館の30分前まで
休日休館日 火曜日
その他備考観覧料 一般1600円、大学生1200円、高校生800円
開催場所国立新美術館[企画展示室2E]
アクセス〒106-8558
東京都港区六本木7-22-2
☎03-777-8600
・東京メトロ千代田線乃木坂駅 青山霊園方面改札6出口(美術館直結)
・都営大江戸線六本木駅7出口から徒歩約4分
・東京メトロ日比谷線六本木駅4a出口から 徒歩約5分
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