ー明治150年記念ー 明治からの贈り物

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黒田清輝 「裸体婦人像」 明治34 年(1901)
静嘉堂文庫美術館蔵 (全期間展示)

静嘉堂文庫は岩﨑弥太郎の弟、岩﨑彌之助(1851-1908・三菱第2代社長)が創始者で、その息子岩﨑小禰太(1879-1945・三菱第4代社長)とで蒐集した古典籍・美術コレクションを、毎回面白いテーマで展覧企画しています。今回は、その中でも彼らと同時代の近代絵画から、超絶技巧と言われるきらぼしのような明治工芸品までを並べています。数は多くはありませんが一点一点が秀逸でまた話題性もある珠玉の品々です。

見どころ案内に沿って紹介します。

●ジョサイア・コンドル設計の岩﨑家高輪本邸(現・開東閣)のビリヤード・ルームに飾られていた黒田清輝「裸体婦人像」と応接室を飾った菅原直之助“超絶技巧”の刺繍額

冒頭写真の「裸体婦人像」は黒田の帰国後の1901年、第6回白馬会展に出品されたが、裸体画は公序良俗に反するとして下半身を布で覆って展示されるという、いわゆる「腰巻事件」を引き起こした作品です。布で覆うというのは若干滑稽ですが、現在でも時々おこることを思うと、表現の自由の問題はこの100年さほど変わっていないかもしれません。この絵自体は当時欧米のしきたりで女性が入らないビリヤード・ルームに飾られていました。やはり誰にでも見せることを遠慮したのか殿方達のみで鑑賞したかったのでしょう。

菅原直之助 「羽衣刺繍額」(上)「鞍馬天狗刺繍額」(下)
明治40年(1907)頃 静嘉堂文庫美術館蔵 (全期間展示)

(冒頭の写真を除き、写真はクリックすると拡大してご覧になれます)

明治の政治家や財閥オーナーは古典芸能、特に能を好み、また援助しているのがよくわかります。それにしてもこの2点の刺繍の超絶技巧たるや、必見です。

●近代日本画、歴史画のはじまりは、この画家から!?

とタイトルがつく、見どころの絵が菊池容斎の「呂后斬戚夫人図」です。史実そのものに典拠をおく“歴史画”の大家であり、彼が執筆刊行した『前賢故実』は近代歴史画の出発点とされ、その功績は“近代日本画の祖”とも評されました。その本もともに展示されています。

残虐で凄まじい絵ながら、中国の史実に通じた名画として評価の高い作品です。

菊池容斎 「呂后斬戚夫人図」 江戸時代 天保14年(1843)
静嘉堂文庫美術館蔵 (前期展示)

●“画鬼”・河鍋暁斎の傑全作「地獄極楽めぐり図」(40図入りの画帖)を修理後初公開!

河鍋暁斎は年々人気が上がっていますが、その傑作と言われる画帖です。全40図からなるこの画帖は、暁斎の大の贔屓だったという日本橋大伝馬町の大店、小間物問屋の勝田五兵衛が、14歳で夭折した娘・田鶴を一周忌で供養したいと、暁斎に制作を依頼したもの。娘が阿弥陀如来に連れられて冥界を巡り、極楽往生を遂げるまでを、優雅で丁寧な筆致で表した、ユーモアにも溢れる作品です。下の写真は「盛り場」の場面。右手は忠臣蔵7段目。左端が四谷怪談。その手前では「覗きからくり」が描かれ、田鶴はというと、中央で菩薩・天女たちと楽しそうに「はしご登り」を見物。豊かな空想力で子供に先立たれた親の悲しみを癒し、あの世でも楽しいだろうと説得させるのです。

河鍋暁斎 「地獄極楽めぐり図」(盛り場)(1帖40図) 明治2~5年(1869~72)
静嘉堂文庫美術館蔵 (全期間展示、場面展示替あり)

●「第4回 内国勧業博覧会」(明治28年)出品作からー日本の近代絵画初の“重要文化財” 橋本雅邦「龍虎図屏風」と“今 蕭白”鈴木松年の傑作も!

近代日本画を代表する大家である橋本雅邦(1835~1908)の代表作として知られる本作は、明治28年(1895)、京都で開催された第4回内国勧業博覧会の出品作。岩崎彌之助は、この博覧会の目玉となった屏風絵制作に出資し、当時一流の日本画家たちが 10双の屏風を出品しました(うち8双が静嘉堂に現存)。 雅邦は水墨画の「龍虎図」の伝統をふまえ、そこに西洋画風の奥行きを表現、濃彩や金泥といった華やかさを加味した新たな「龍虎図」を創出しています。当時はその斬新さから〝腰抜けの虎〞などと酷評もされ、賞を逃しましたが、昭和30年(1955)、明治期の日本画革新の記念碑的作例として近代絵画で初めての重要文化財に指定されました。

橋本雅邦 重文「龍虎図屏風」(6曲1双) 明治28年(1895)
静嘉堂文庫美術館蔵 (全期間展示)

下の作品も第4会内国勧業博覧会の出品作で、描かれているのは10人の仙人。口から分身を吹き出す李鉄拐、その左に葉蓑をまとう神農、ほかに蝦蟇仙人、鯉に乗る琴高仙人などです。

鈴木松年(1848~1918)は、鈴木派の創始者、鈴木百年の次男で幼少より儒学・詩文も修めました。この力感あぶれる筆致の作風は、本人も私淑したという”曾我蕭白(1730~81)の再来”とも称されたそうです。

鈴木松年 「群仙図屏風」(8曲1双) 明治28年(1895)
静嘉堂文庫美術館蔵 (全期間展示)

●明治工芸の粋・濤川・是眞・長吉・雪聲・勝珉、著名な「帝室技芸員」の作品、勢ぞろい

東京を中心に活躍した濤川惣助(1847〜1910)と京都で活躍した並河靖之は、ともに七宝家で、「ふたりの『ナミカワ』」として「特別展 驚異の超絶技巧! —明治工芸から現代アートへ―」(20170年9月16日〜12月3日、三井記念美術館)でも紹介しましたね。共に、明治29年(1896)には、皇室が美術家を対象として顕彰する「帝室技芸員」に任命されています。

無線七宝の技術を開発し、釉のぼかしを生かした絵画的表現を可能とした濤川惣助の下の作品では、一対の瓶の、向かって右には梅や水仙、桜や木蓮、アジサイなど早春から初夏の花々を、左には蓮や百合、朝顔や花菖蒲、菊といった夏から秋の花々が、多色の美しい濃淡で表されています。この上なく洗練された下絵は、渡邊省亭(1852〜1918)によるもので、日本の工芸意匠をより絵画的に、高尚なものにすべく努めた明治政府の意図とも合致した七宝の逸品です。

美しい色合いの花瓶にとても繊細な花々が上品に描かれていて、なるほど超絶技巧と納得がいきます。

濤川惣助(渡邊省亭 下絵)「七宝四季花卉図花瓶」一対 明治時代(19~20世紀)
静嘉堂文庫美術館蔵 (全期間展示)

もう一つの作品は海野勝珉(1844~1915)の「天燈(灯台)鬼・鉄鉢鬼・龍灯鬼」です。明治を代表する彫金家で水戸に生れ、伯父で装剣金工の海野美盛らに彫金を学び、上京後は彫金の大家・加納夏雄にも師事しています。水戸金工伝統の色金を多用する象嵌色絵技術を得意としました。明治27年東京美術学校教授に就任、同29年には帝室技芸員に任ぜられました。 本作は、興福寺に伝わる鎌倉時代の著名な彫刻「天燈鬼・龍燈鬼立像」(運慶の子・康弁作の像と伝わる)に基づいて、小型に制作された青銅製の置物で、中央の「鉄鉢鬼」のみ勝珉の独創で加えて作られました。鬼と龍の眼には色金が象嵌され、鉄鉢には龍が線刻されています。静嘉堂文庫の二階に、調度品として長く飾られていた作品だそうです。去年運慶展(興福寺中金堂再建記念特別展 運慶、2017年9月26日〜11月26日、東京国立博物館)で「天燈鬼立像」と「龍燈鬼立像」(ともに国宝)に出会う幸運がありましたが、それらを彷彿とさせます。

海野勝珉 「天燈(燈台)鬼 ・鉄鉢鬼・龍燈鬼 」明治33~34年(1900~01)
静嘉堂文庫美術館蔵 (全期間展示)

●「若冲」人気は明治から!?セントルイス万国博覧会(明治37年)出品―綴織作品の製作工程を知る!

明治37年(1904)、米国セントルイス万国博覧会に、日本から企業の部で日本郵船会社(現・日本郵船株式会社)は船舶模型や航路図を出品しました。その出品区に、時の帝室技芸員・二代川島甚兵衞(1819-1879)が、休憩室「若冲の間」を設け、壁面全体に10点の綴織パネル(原画:伊藤若冲「動植綵絵」)を展示して大きな評判を呼んだそうです(しかし作品は、会終了後、事故で全て焼失)。本展では、技術伝承事業として(公財)日本伝承染織振興会から依頼を受けた(株)川島織物セルコンが再現した綴織額「池辺群虫図」と併せて、万博当時に製作された「模写画」、「織下絵」(1902年頃・奥田瑞寛)を借用し、特別公開しています。それにしても色が美しいこと、また植物の構図が素敵です。

(特別出品)「池辺群虫図 綴織額」(原画:伊藤若冲「動植綵絵」より「池辺群虫図」)
平成22年(2010) 日本伝承染織振興会所蔵 (全期間展示)

静嘉堂文庫は若干アクセスに難しいところがありますが、自然風景の中を歩いて到着すると東京都内とは思えない静けさです。ゆっくり珠玉作品を堪能する良い機会です。

冒頭画像を除き、以下の画像はクリックすると拡大します。

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展覧会ホームページ

開始日2018/07/16
終了日2018/09/02
エリア東京都
時間開館時間 午前10時~午後5時(入館は4時30分まで)
休日休館日 毎週月曜日
その他備考入館料 一般1000円、大高生700円、中学生以下無料
開催場所静嘉堂文庫美術館
アクセス〒157-0076 東京都世田谷区岡本2-23-1
TEL.03-5777-8600(ハローダイヤル)
http://www.seikado.or.jp/guide/access.html