「怖い絵」展 Fear in Painting

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ポール・ドラローシュ 《レディ・ジェーン・グレイの処刑》 1833年
油彩・カンヴァス ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵
Paul Delaroche, The Execution of Lady Jane Grey
© The National Gallery, London. Bequeathed by the Second Lord Cheylesmore, 1902

すごい展覧会がやってきた。見ていると胸のあたりがぞわぞわし、得体のしれない恐怖が心の内に上がってくる。日本初来日の《レディ・ジェーン・グレイの処刑》は、縦2.5mx横3mの大きなキャンバスに暗黒の歴史がうごめくように処刑の場面が描かれている。政略の渦に巻き込まれ、改宗すれば命は助かったかもしれない若き女王はそれをせず、いま首を斬られようとしている。

上野の森美術館で12月17日まで「怖い絵」展が開催されている。この展覧会の見どころとして、一つめは「恐怖」というテーマ性を持った、これまでにない切り口の展覧会ということだ。視覚的な怖さだけでなく、隠された背景を知ることで判明する恐怖、この絵はなぜ怖いのかその怖さを読み解くヒントと共に約80点の絵画、版画が連なっている。その中にはターナー、モロー、セザンヌなど、あの巨匠がこんな”怖い“絵を、とびっくりする作品がある。

二つめは冒頭の《レディ・ジェーン・グレイの処刑》である。「9日間の女王」として知られ、16歳の若さで散ったイングランド史上初の女王の最後を、繊細な筆致と緻密な構成で描いたポール・ドラローシュの大作である。実はこの絵は1928年のテムズ川の大洪水で失われたと考えられていたが、1973年の調査で奇跡的に無傷で発見された。1975年のロンドン・ナショナル・ギャラリーでの一般公開再開以来、同館の代表作品になるほどの人気にあり、初の来日である。日本に持ってくることには様々な問題があり、担当者はこの作品が来ないなら夜逃げするしかないとまで思いつめたそうだ。

三つめは作家でドイツ文学者の中野京子氏による特別監修である。中野京子氏が2007年に出版した『怖い絵』は「恐怖」に焦点を当て、その絵の時代背景や隠された物語という知識をもとに読み解く美術書としてベストセラーになり、シリーズ化された。この展覧会のために彼女が新たに選び抜いた”怖い絵“が《レディ・ジェーン・グレイの処刑》を筆頭に《オデュッセウスのセイレーン》や《ビール街とジン横丁》等々が並ぶ。絵の隣にある〈中野京子’s eye〉 の解説文は、怖さを読み解くヒントでもあり益々絵の印象が深くなる。

構成は「神話と聖書」「悪魔、地獄、怪物」「異界と幻視」「現実」「崇高の風景」「歴史」と6章にわかれている。

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス 《オデュッセウスに杯を差し出すキルケー》
1891年 油彩・カンヴァス オールダム美術館蔵
© Image courtesy of Gallery Oldham

1章の「神話と聖書」にはオデュッセウスを描いた作品がある。恐怖は伝染する、と〈中野京子’s eye〉では始まっている。ハーバート・ジェイムズ・ドレイパー 《オデュッセウスとセイレーン》では船を漕ぐ屈強な男達の怯えが直に伝わってくるようだ。サイレン(=警報)の語源となった海の魔女セイレーンは、半人半鳥、半人半魚の姿と考えられ、美声によって船乗りたちを惑乱させ、船を沈めた。しかしこの魔女たちは実に魅惑的に描かれている。下半身が魚のはずが、船にあがるときには白いエロティックな脚になり、腰には海藻、それが透き通った布になり、美しい脚にまとわりついている。

キルケーも魔女で、旅人らをその美貌で惑わし、魔酒を飲ませて豚に変えてしまう。空恐ろしい。なぜかオデュッセウスとキルケーは恋に落ち、1年以上も一緒に暮らすことになる。

ギュスターヴ=アドルフ・モッサの《飽食のセイレーン》は半人半鳥の怪鳥として描かれており、印象としては現代的な絵のようだ。鮮血を唇にしたたらせ、それが顎、首筋、胸に流れている。じわじわと怖い。

オーブリー・ビアズリー ワイルド『サロメ』より《踊り手の褒美》
1894年 ラインブロック・紙 個人蔵

2章の「悪魔、地獄、怪物」で、中野氏は、眠りはある意味、こま切れの死だと言っている。眠っている間、何か怖しいことが我が身の上で営まれているのではないかと眠りの恐怖を表しているのがヘンリー・フューズリの《夢魔》である。眠っている女の上にいる異界の醜い魔物の目は金色である。ふと能の面に”泥眼でいがん“という鬼になりかけの女の目が金色に描かれていることを思い出した。どこでも異形の物は金色の目なのか。さてかの有名なビアズリーのサロメも出てきた!ぞわぞわの連続である。

3章、「異界と幻視」で、イギリスのヴィクトリア朝時代には、産業革命による急激な都市化や功利主義の反動で、超自然的なものへの憧れが高まった。妖精や幽霊の存在を信じるものが増え、妖精画も黄金期を迎えた。チャールズ・シムズ の《そして妖精たちは服を持って逃げた》は、森の中で憩う母子のところへ小さな妖精達がわらわら現れ服を奪っていくのに、母子の反応は静かである。一見すると穏やかな絵のように見えるが、画家のシムズは第一次大戦で長男を失い、自身も戦争画家として戦地で悲惨な状況を目の当たりにした。帰郷同年に描いたのがこの作品らしい。この後、徐々に精神を病んで53歳で入水自殺をする。こういう背景を知ると背景の暗い森がずっと不気味に映る。

4章「現実」ではセザンヌの《殺人》にだれもが驚愕するのではないだろうか。 あのセザンヌがこのような禍々しい絵を描くのだろうか。セザンヌは20代後半から30代前半にかけてこうした暴力的でエロティックな作品をかなり描いていたが、多くは後年になって自ら廃棄し、またセザンヌのイメージと合致しないからと意図的に触れずにきた美術評論家たちのせいで、これらの作品は一般にあまり知られていない。しかしこの生々しい殺人現場の光景はどうだろう。闇に沈む岸辺、打ち寄せる仄白い波、豊かな金髪の女性がまさに生命を絶たれようとナイフを振り上げる男、凶暴さ剥き出しの作品がかのセザンヌによって描かれたとは。

ギュスターヴ・モロー 《ソドムの天使》 1885年頃
油彩・カンヴァス ギュスターヴ・モロー美術館蔵
© RMN-Grand Palais / René-Gabriel Ojéda / distributed by AMF

5章「崇高の風景」には副題のように神罰とある。〈中野京子’s eye〉ではソドムはソドミー(男色、獣姦)の語源であり、旧約聖書に登場する悪徳の街の名である。神はソドムに住むロトの家に二人の天使を遣わせた。天使が美しい男を装っていたため、堕落したソドムの男たちに襲われそうになり、ロトがかくまう。これを良しとした神はロト一家だけは救い、町に硫黄の雨を降らせて壊滅させた。神の怒りの凄まじさ、火山の噴火を彷彿とさせる硫黄の雨、栄えていた町の消滅―異教も町ポンペイが発掘された時、多くの人はソドムと重ねあわせたであろう。象徴主義の画家モローの描写は幻想的だ。切り立った崖の裾にソドムの街が拡がり、赤い火の川が流れる。長剣(正義の象徴)を持った天使は空中に浮遊し、それは巨大な天使だ。聖書における天使は字義通り神の御使いであり、神が殺せと命じればジェノサイドも辞さない。苛烈なものだ。

6章「歴史」 この章の筆頭は冒頭の《レディ・ジェーン・グレイの処刑》である。16歳の女王のいたいけなさがまざまざと描かれていて怖さとともに悲しさも感じる。夏目漱石の『倫敦塔』の描写を思い出せば、暗い塔の中のその瞬間がそこにあるように思われて身の毛が総立つ。このほかにも印象深い作品がこの章に展示されている。ジャック=エドゥアール・ジャビオの《メデューズ号の筏》は大スキャンダルだったらしい。フランス王政復古期に起こった、無能な貴族艦長による弱者切り捨てとして知られる。わずかの水と食料だけで筏に放置された150人近い乗員たちは炎天下のアフリカ海域を13日間も漂流し、生き地獄を味わった。飲み水をめぐる争い、殺し合い、餓死、自殺、発狂、溺死、果ては人肉食、、、最終的にサバイバルできたのは10人に満たなかったと言われる。このダイナミックな構図とドラマティックな表現法は現代のハリウッド映画まで影響を続けているという。

フランソワ=グザヴィエ・ファーブルの《スザンナと長老たち》は1章の「神話と聖書」にある。旧約聖書外典に載っている「スザンナの水浴」は絶大な権力を持つ二人の長老が、人妻スザンナによこしまな心を抱くところから始まる。古代版セクハラ&パワハラである。数多くの画家はたいてい水浴中の美女を鑑賞するのが主眼となって、長老は画面の隅でただ覗き見している場合が多いが、ファーブルのこの作は、物語の本質に迫りドラマティックな切込みで、人妻スザンナの恐怖と絶望感をリアルに表している。彼女はああ神様、と天を仰ぐ。その生々しさが怖い。

展覧会ナビゲーター/音声ガイドは女優の吉田羊さん。クールビューティな彼女のガイドを聞きながら作品の怖さを味わうのもよいかと思う。

~~その闇を知ったとき、名画は違う顔を見せる~~

展覧会公式サイト

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開始日2017/10/07
終了日2017/12/17
エリア東京都
時間9:00~20:00(入場は閉館の30分前まで) *好評により開館時間が延長になりました。
休日会期中無休
その他備考観覧料 一般1600円、大学生・高校生1200円、中学生・小学生600円
*小学生未満は無料
*障害者手帳をお持ちのかたとその介護者1名は無料(要証明)
開催場所上野の森美術館
アクセス〒110‐0007 東京都台東区上野公園1-2
☎03-5777-8600(ハローダイヤル)
JR上野駅公園口より徒歩3分
東京メトロ・京成電鉄上野駅より徒歩5分