ユトリロと ヴァラドン 母と子の物語 – スュザンヌ・ヴァラドン 生誕150年 –

05_Valadon《野うさぎとキジとりんごのある静物》

スュザンヌ・ヴァラドン《野うさぎとキジとりんごのある静物》1930年 油彩、
キャンヴァス 73×92㎝ 個人蔵

パリの風景を詩情豊かに描いたモーリス・ユトリロ(1883年~1955年)と、ユトリロの母で画家のスュザンヌ・ヴァラドン(1865年~1938年)の展覧会です。油彩を中心に、日本初公開作品ならびに個人所蔵作品を含むユトリロの作品約40点とヴァラドンの作品約40点を展示し、日本で絶大な人気を誇るユトリロの作品を、そのルーツである母ヴァラドンとの関係を交えながらご紹介いたします。

<ユトリロとヴァラドン エピソード>

Valadon’s Episode

1 画家モデル、ヴァラドン
ヴァラドンはサーカスの曲芸師をしていましたが、怪我をきっかけに退団し、画家のモデルに転向しました。ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ、ルノワール、ロートレックといった著名な画家たちが、ヴァラドンをモデルに作品を描いています。

2「スュザンヌ」は聖書から
「スュザンヌ」という通称は、恋愛関係にあったロートレックがつけたもの。スザンナ(フランス語読みで「スュザンヌ」)とは、水浴中の姿を好色な長老たちに覗き見され、関係を迫られる旧約聖書の外典に登場する女性のこと。裸で 40歳以上年長のシャヴァンヌや20歳以上年長のルノワールのためにポーズを取るヴァラドンを、ロートレックは皮肉を込めて「スュザンヌ」とよんだのです。

3 女流画家が裸婦を描くということ
ヨーロッパの絵画史上欠くことのできない裸婦像ですが、20世紀初頭まで、女性が裸体像を描くことはあまりありませんでした。フランスでは女性の国立美術学校への入学が認められたのは1897年のことで、人体研究を目的とした裸体モデルのデッサンも禁じられていました。したがって、ヴァラドン以前にも女流画家は存在しましたが、その多くが私塾等で学んだ中流階級以上の出身で、静物画や室内画を中心に描いていました。独学で下層階級出身のヴァラドンは、保守的な美術教育や裸体像に対する中流階級のたしなみ等に縛られることなく、自由に裸婦像に取り組むことが出来たと考えられます。

Utrillo’s Episode

4 きっかけはアルコール依存症
絵画と恋愛に忙しい母ヴァラドンに代わり、幼いユトリロの面倒はもっぱら祖母の仕事でした。さみしい環境が影響したのか、ユトリロは10代の頃から飲酒癖があり、20歳でアルコール依存症のために入院することになりました 。(その後も入退院を繰り返しています)。この頃、治療の一環として医者にすすめられたのが、絵を描くことでした。

5 母への思慕?
ヴァラドンの私生児として生まれた「モーリス・ヴァラドン」は、7歳の時にスペイン人ジャーナリスト、ミゲル・ウトリーリョ(ユトリロ)・イ・モルリウスが息子として認知し、「モーリス・ユトリロ」となりました。しかしユトリロは自分の作品に、「Maurice Utrillo. V.」と母ヴァラドンValladonのイニシャルを加えたサインをしていました。

6 裕福な未亡人と結婚
1935年、51歳のユトリロはヴァラドンのすすめで、以前から知り合いだったベルギーの資産家ロベール・ポーウェルの未亡人リュシー・ヴァロールと結婚しました。5歳年上のリュシーは、ヴァラドンに代わりユトリロの面倒を見ることになりました。

<スュザンヌ・ヴァラドン(1865年~1938年)Suzanne Valadon>

本名マリー・クレマンティーヌ・ヴァラドン。お針子の娘としてフランス中部リモージュ近郊に生まれる。父親は不明。幼い時に母とともにパリに出る。サーカスの曲芸師をしていたが空中ブランコから落下し退団、画家のモデルとなり、自らも絵を描くようになった。

《コルト通り12番地、モンマルトル》
スュザンヌ・ヴァラドン 1919年 油彩、キャンヴァス 92×73㎝ 個人蔵

1896年、31歳のヴァラドンはモンマルトルのコルト通り12番地にアトリエを構えました。現在はモンマルトル博物館となっている美しい中庭のあるこの建物には、かつては印象派の巨匠ルノワールもアトリエを構えていました。 日本初公開

《裸婦の立像と猫》
スュザンヌ・ヴァラドン 1919年 油彩、キャンヴァス 61×50㎝ 個人蔵

繊細な風景画を描いたユトリロに対し、ヴァラドンは力強い人物、特に裸婦を得意としていました。ドガが絶賛した確かなデッサン力、ゴーギャンを連想させる太い輪郭線が、ヴァラドンの描く裸婦像を堂々としたものにしています。 日本初公開

《窓辺のジュルメーヌ・ユッテル》
スュザンヌ・ヴァラドン 1926年 油彩、キャンヴァス 80.8×65㎝ 個人蔵

ジュルメーヌ・ユッテルは、ヴァラドンの2番目の夫アンドレ・ユッテル(1886年~1948年)の妹。ユトリロの友人だったユッテルは、アマチュア画家(本職は電気技師)でした。ヴァラドンは21歳年下のユッテルと44歳頃から付き合いはじめ、49歳で結婚しました。 日本初公開。

奔放な母と孤独な息子に接点は?

パリの風景を詩情豊かに描き、日本で圧倒的な人気を誇るモーリス・ユトリロ。しかしその母スュザンヌ・ヴァラドンも気になる存在といえます。ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ、ルノワール、ドガら彼女の美貌と才能を認めた巨匠たち、ロートレックや作曲家エリック・サティとの恋愛関係、18歳で父親の分からない息子を出産し、49歳で21歳年下と再婚するなど、彼女の自由奔放でエネルギッシュな生き方はもちろんのこと、ドガが絶賛した確かなデッサン力、個性的な裸婦像など、その作品も圧倒的な存在感を示しています。

アルコール依存症の治療の一環として絵を描きはじめたユトリロに、ヴァラドンはこれといった手ほどきはしなかったといわれています。繊細な風景画を描いたユトリロ、力強い人物画を得意としたヴァラドン。まったく傾向の異なる作品を描いたふたりの間に影響関係はなかったといわれていますが、実際はどうだったのでしょう?

<モーリス・ユトリロ(1883年~1955年)Maurice Utrillo>

パリのモンマルトルに生まれる。父親は不明。7歳の時にスペイン人ジャーナリスト、ミゲル・ウトリーリョ(ユトリロ)・イ・モルリウスが息子として認知し、「モーリス・ユトリロ」となる。アルコール依存症の治療の一環として、絵を描きはじめた。

(ユトリロ作品については著作権のため掲載しておりません)

スュザンヌ・ヴァラドン《花瓶の中のリラの花束》1930年 油彩、キャンヴァス 81×65㎝ 個人蔵

 

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(プレスリリースより)

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開始日2015/04/18
終了日2015/06/28
エリア東京都
時間午前10時から午後6時まで
(金曜日は午後8時まで。入館は閉館30分前まで)
休日月曜日休館。
その他備考● 一般1,200円(1,000)円 ● 大学・高校生800(650)円 ● シルバー〈65歳以上〉1,000円 ● 中学生以下無料
※( )内は前売りおよび20名以上の団体料金
開催場所東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
アクセス〒160-8338 
東京都新宿区西新宿1-26-1
損保ジャパン日本興亜本社ビル42階
http://www.sjnk-museum.org/info/access-basement