ヨコハマトリエンナーレ2014 「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」 Yokohama Triennale 2014 “ART Fahrenheit 451: Sailing into the sea of oblivion”

1.Michael LANDY《Art Bin》(小)

マイケル・ランディ《アート・ビン》 2010 サウス・ロンドン・ギャラリーでの展示風景

ヨコハマトリエンナーレ2014
アーティスティック・ディレクター
森村泰昌

忘却の海へと向かう冒険の旅

ヨコハマトリエンナーレ2014がめざすのは
芸術的冒険の可能性を信じるすべての人々
そして、大胆な世界認識を持ちたいと望む
すべての人々と共に
「芸術」という名の舟に乗り込み
「忘却」という名の大海へと
冒険の旅に出ることである

「華氏451の芸術」というタイトルは、言うまでもなく、レイ・ブラッドベリ作のSF小説『華氏451度』に由来している。いわゆる焚書がテーマの小説で、本を読むことも持つことも禁じられた近未来社会が舞台となっている。

1953年作とは思えないくらい、現代社会を予見していて見事だが、それ以上に興味深いのは、これが「忘却」の重みについてあらためて考えさせられる小説だという点である。

物語の後半、「本になる人々」の集団というものが登場する。一人ひとりが一冊ずつ本を選び、それをまるごと記憶しようとする。つまり焚書へのレジスタンス(抵抗)として、本という物質を記憶という非物質に置き換え、本の精神のみを隠し持とうと試みる。

「本になる人々」は本を禁止する社会からの亡命者達であり、また上述のように本を非物質な記憶に置き換えようとしているため、その存在と行為の両側面において、現実社会の表舞台には決して現れることのない、不在の人々となる(=生きている痕跡をこの世から消滅させた「忘却の人々」たらざるをえなくなる)。ところがこの「忘却の人々」にこそ、膨大な本の記憶がたまり込んでいるというのが、ブラッドベリの小説がもたらす、「忘却」に関する重い教訓なのである。

「忘却」とは、記憶されざる記憶がたまりこんだ、ブラックホールとしての記憶のことである。

人類はこれまで想像を絶する量の情報(や「もの」)を廃棄(=忘却)し続けてきた。記憶化されないまま廃棄された情報(や「もの」)は、それよりもさらに膨大だろう。死者や、これから生まれる「未来の記憶」とでもいうべき未生の命も、記憶されざる記憶としての「忘却」かもしれない。検閲や弾圧によって消滅させられたり、表舞台に出られなくなったものもあるだろう。

語らないもの、語ってはならないもの、語りえぬもの。見たくないもの、見てはならないもの、見えにくいもの。とるにたらないもの、役に立たぬもの。それら記憶世界にカウントされる値打ちもないと判断された無数の記憶されざる記憶達にも思いを馳せてみよう。そしてこんなふうに痛感してみよう。

世界(宇宙)は、そのほとんどが「忘却」のブラックホール(あるいは、広大で奥深い海)によって満たされている。それに比べれば、記憶世界など「忘却の海」に浮かぶちっぽけな島にすぎない。

「記憶」から「忘却」へと、世界認識のための軸足を、真逆に置き換えてみる。すると、社会や暮らしや人生の諸相が今までとはガラリと違って見えてくる。その手応えや驚きや切実感が表現となる。そういう芸術的態度が確かにある。それらを多くの人々とわかちあうこと。ヨコハマトリエンナーレ2014における「忘却」というテーマは、そういったものである。忘れられた歴史(美術史)の掘り起こしや懐古趣味には無関係でありたいと願っている。

展覧会概要

大竹伸朗 構想イメージ 2014 © Shinro Ohtake Courtesy of Take Ninagawa, Tokyo

<展覧会構成>

美術館前の序章 アンモニュメンタルなモニュメント/横浜美術館屋外
トラックなのに、ゴシック様式の教会のよう。誰もが好きなことば「LOVE」なのに、なんともたよりなくゆがんでいる。デルボアもギムホンソックも、巨大なモニュメントでありながら、モニュメントの骨抜きを企てる。空間や人の心をその迫力によって支配しようとするモニュメント志向に、いたずらな仕掛けをして、アンモニュメンタルなモニュメントという、なんとも壮大な矛盾を創出する。
ヴィム・デルボア/Wim DELVOYE
ギムホンソック/Gimhongsok

グランドギャラリーの序章 世界の中心にはなにがある?/横浜美術館
なにかが創り出されるとき、なにかが忘れられる。使われなかった大量の材料、見せないまましまい込まれた失敗作の数々、排出したゴミの山。それらは、完成作が美術館にうやうやしく展示されるやいなや、まるでこの世には存在していなかったかのように、人目を忍び忘却の海へ、漂流の旅に出る。人類が築きあげてきた芸術の創造の歴史、それよりもはるかに大量の忘却があり、ほんとうは、その忘却の重みこそが、美術史の本体となる。いざ、忘却へ。いざ、ゴミ箱へ。
マイケル・ランディ/Michael LANDY

第1話:沈黙とささやきに耳をかたむける/横浜美術館
黙っているものは情報化されずに忘れられていく。ささやきも耳をそばだてないと聞こえてこない。 しかし「沈黙」や「ささやき」には、饒舌や演説を凌駕する重みや強度が隠されている。 その重みや強度が芸術になる。
カジミール・マレーヴィチ/Kazimir MALEVICH
アグネス・マーティン/Agnes MARTIN
ブリンキー・パレルモ/Blinky PALERMO
ジョシュ・スミス/Josh SMITH
カルメロ・ベルメホ/Karmelo BERMEJO
木村浩/KIMURA Hiroshi
ルネ・マグリット/René MAGRITTE
マルセル・ブロータース/Marcel BROODTHAERS
ヴィヤ・セルミンス/Vija CELMINS
イザ・ゲンツケン/Isa GENZKEN
フェリックス・ゴンザレス=トレス/Felix GONZALEZ-TORRES
村上友晴/MURAKAMI Tomoharu
イアン・ウィルソン/Ian WILSON

第2話:漂流する教室にであう/横浜美術館
日本の戦後の高度成長を支える労働力を供給し続け、しかしその成長の停止とともに置き去りにされた町、釜ヶ崎。「釜ヶ崎芸術大学」(通称「釜芸」)は、高齢化、医療、就労、住居、生と死等々、多くの問題を抱えた釜ヶ崎に、「表現」行為を通じて関わるべく立ちあげられた。今夏、「釜芸」が横浜に漂着する。釜ヶ崎が発信する感覚、まなざし、生きる姿勢が、どんな「夏の教室」になっていくのか。それは、やってみないとわからない。
釜ヶ崎芸術大学/Kama Gei

釜ヶ崎芸術大学 絵画の授業の様子

第3話:華氏451はいかに芸術にあらわれたか/横浜美術館
人類の歴史に繰り返し登場する、思想統制という強制的になにものかが抹殺される悲劇。それらを批判したり糾弾したりすることが、ここでの目的ではない。かつてあった、あるいは今もどこかで起こっているそうした悲劇が、ほかならぬ私自身の今を映し出す鏡となりはしないか。「おまえはどうなの」と私に私自身を振りかえらせる手がかりとなりはしないか。

モエナイコトバ/Moe Nai Ko To Ba
大谷芳久コレクション/OTANI Yoshihisa Collection
松本竣介/MATSUMOTO Shunsuke
奈良原一高/NARAHARA Ikko
エリック・ボードレール/Eric BAUDELAIRE
ドラ・ガルシア/Dora GARCÍA
マイケル・ラコウィッツ/Michael RAKOWITZ
エドワード&ナンシー・キーンホルツ/Edward & Nancy Reddin KIENHOLZ

エリック・ボードレール《The Ugly One》2013

第4話:たった独りで世界と格闘する重労働/横浜美術館
芸術家は、理由もなくいきなり社会や宇宙と格闘しはじめる。たった独りで立ちむかうこの重労働は、生きる衝動の純粋なあらわれなのだが、無意味で無用な徒労のようにも見える。だからそれは、役立つことを求める価値観から離脱して、忘却の海に出ることになる。そしていかなる風にもなびかず、孤独な光を放ちつづける。さながらそれは、聖人が粗末な衣服を身につけていても、頭の背後にともるかすかな光輪によって、はっきりと見分けがつく、あれと同じ質の輝きである。
福岡道雄/FUKUOKA Michio
中平卓馬/NAKAHIRA Takuma
アリギエロ・ボエッティ/Alighiero BOETTI
張恩利(ザン・エンリ)/ZHANG Enli
毛利悠子/MOHRI Yuko
サイモン・スターリング/Simon STARLING
吉村益信/YOSHIMURA Masunobu
和田昌宏/WADA Masahiro

福岡道雄《飛ばねばよかった》1965-66 Photo: FUKUNAGA  Kazuo

第5話:非人称の漂流(仮題)/横浜美術館
(第5話についての個人的な覚え書き)
テニスコートから法廷へ。
法廷から監獄へ。
コートの中央に張られたネットをはさみ向きあう選手と、それを見守る審判。この登場人物が、被告と原告と裁判官へと置きかわり、やがて法廷は監獄への道を準備する。

これは、一見シンプルに感じられる変容のプロセスだが、しかし足を踏みいれたとたん、私の脳と身体は真っ白になる。というのも、視覚にはいるのはイスや柵やネットという、いたって具体的なイメージなのに、それらにはどんな意味も付与されておらず、全体が、誰もがいかようにも入り込める多孔質でできあがっているからである。

巨大だが空気のように軽く、なんいうか異常な重力を感じつつ浮遊感を味わうというような、ある種のめまい、ある種の吐き気、ある種の恐怖、それでいて確実にある種の誘惑がある。

これは作品と呼べるだろうか。からっぽなのに、思い入れ次第では本物の船や戦車や飛行機にもまさる実感をともなう、巨大な観念のプラモデル。

ちなみにこの仮構物の作者名は空欄になっている。無記名というよりは、作者欄が非人称になっている。

「雨がふる」のは、「I=私」でも「you=あなた」でもなく、「It=それ/It is raining」であるように、ここでのできごとは、特定の誰かの指示によるものではない。作品とは、特定の作者である「私」の制作物を意味するが、もしこの「私」というものが私自身の専有物ではなく、無数の他者、無数の歴史、無数の言葉、無数の数式や確率や情報等々によって形成された偶然性の賜物であるとしたら、特定の名前を持つ「私」に与えられた固有性は、その根拠を失ってしまうだろう。

この巨大な観念のプラモデルを作り出したのは、誰でもなく、また誰でもありえた。誰もが共犯者なのだと言うべきか。
Temporary Foundation

第6話:おそるべき子供たちの独り芝居/横浜美術館
人間はおとなになることと引きかえに、幼年期の記憶を捨てなければならない。ところが、この幼年期の記憶に深くとらわれて、前に進めなくなってしまった人々がいる。その典型が芸術家である。芸術家とは、おとなになりそこねた子供なのである。おとなになって忘れてしまった、私たち人間の生まれいずる源へと帰郷する旅。それは私たちが、おそるべき子供たちの独り芝居に巻きこまれる、試練への誘惑でもある。
ジョゼフ・コーネル/Joseph CORNELL
坂上チユキ/SAKAGAMI Chiyuki
松井智惠/MATSUI Chie
アリーナ・シャポツニコフ/Alina SZAPOCZNIKOW
ピエール・モリニエ/Pierre MOLINIER
アンディ・ウォーホル/Andy WARHOL
グレゴール・シュナイダー/Gregor SCHNEIDER

第7話:光にむかって消滅する/横浜美術館
なにごとも忘れてしまったら、私たちはそのことについて、語ることも、見ることも、知ることも、もはや出来なくなってしまう。だから「忘却」とは、つかみとることが不可能な、永遠に逃れ去る憧れのようなものである。しかし「忘却」の実体には追いつけなくとも、かつてそこにあったはずの「忘却」の面影、「忘却」が立ち去ったあとに残るかぐわしき「忘却の光芒」なら感じとることができるだろう。
三嶋安住+三嶋りつ惠/MISHIMA Anju + MISHIMA Ritsue

第8話:漂流を招きいれる旅、漂流を映しこむ海/周辺会場

高山明の「演劇」は、演劇による演劇の剥奪である。劇場や舞台、あるいは役者と観客の役割分担といった、演劇には当然とされる必要アイテムをことごとくリストラし、あらためて無名の漂流物としてそれらをかき寄せる。高山をそういう手のこんだ手法に走らせるものとはなんなのか。それは、演劇に期待されている、祝祭的な感動がもたらす有無を言わせぬ一体感への、危機意識である。熱狂した人々がひとつの感動のかたまりとなってメイクドラマに酔いしれるとき、高山はその熱気からそっと離れ、冷めた熱狂とでもいうべき批評精神の船舵をとり、忘却の海へと旅立っていく。

トヨダヒトシは、リヴァーサルフィルムによるスライドショーを表現の場と定め、印画紙という物質にイメージを定住させることを拒む。現れたかと思えば消え、消えたかと思えば現れる光の断章の集積。それらは、私たちを光の明滅としてのイメージが漂流する海へといざない、深い沈黙のまっただなかに置き去りにする。
高山明/TAKAYAMA Akira
トヨダ ヒトシ/TOYODA Hitoshi

第9話:「華氏451度」を奏でる(仮題)/横浜美術館
第10話:洪水のあと(仮題)/新港ピア

さまざまな方角から流れついたさまざまな漂流物が、一瞬同じ時間と場所を共有し、やがてまた思い思いの方角へと散っていく。人の営みも展覧会も、同じく、そのような漂流物の遭遇と別離としてとらえてみたらどうだろうか。ほぼ同時期に開催される「札幌国際芸術祭」、「福岡アジア美術トリエンナーレ」、「横浜トリエンナーレ」の三者が遭遇し、乗り入れ状態となる。今見ているのはどの国際展なのか、観客は一瞬わからなくなるかもしれないが、風穴があいていたほうが、新鮮な空気も舞い込み、視界もずっとよくなるにちがいない。
札幌国際芸術祭2014/Sapporo International Art Festival
2014福岡アジア美術トリエンナーレ/Fukuoka Asian Art Triennale

第11話:忘却の海に漂う/新港ピア
すべてを見終わった旅人(観客)が、最後に目にするのは、茫漠たる忘却の海。
沈黙、ささやき、死(と生)、無、カオス、帰郷、光・・・。記憶や情報がおよびもつかない深くて広い海。旅人はこの忘却の海へと漂流する。それは、それぞれの到達点を探し出すための、それぞれの旅立ちでもある
やなぎみわ/YANAGI Miwa
土田ヒロミ/TSUCHIDA Hiromi
殿敷 侃/TONOSHIKI Tadashi
メルヴィン・モティ/Melvin MOTI
バス・ヤン・アデル/Bas Jan ADER
ジャック・ゴールドスタイン/Jack GOLDSTEIN
アナ・メンディエータ/Ana MENDIETA
アクラム・ザタリ/Akram ZAATARI
イライアス・ハンセン/Elias HANSEN
ヤン・ヴォー/Danh VO
笠原恵実子/KASAHARA Emiko
葛西絵里香/KASAI Erika
キム・ヨンイク/KIM Yongik
松澤 宥/MATSUZAWA Yutaka
大竹伸朗/OHTAKE Shinro

やなぎみわ 台湾の移動舞台トレーラー(写真は32 分の1 の模型)  2014

参加アーティスト

イベント・プログラム

創造界隈拠点連携プログラム

応援企画

ヨコハマトリエンナーレ2014 ホームページより)


開始日2014/08/01
終了日2014/11/03
エリア神奈川県
時間10:00 ~ 18:00 [月1回土曜日(8/9、9/13、10/11、11/1)は20:00まで開場 ]
※入場は閉場の30分前まで
休日第1・3木曜日(8/7、8/21、9/4、9/18、10/2、10/16)
その他備考連携セット券(※)
ヨコハマトリエンナーレ2014+創造界隈拠点連携プログラム [BankART Life IV/黄金町バザール2014]
 前売券  2,000円  1,500円  1,100円
 当日券  2,400円  1,800円  1,400円
ヨコハマトリエンナーレ2014単体券
 前売券  1,400円   900円   500円
 当日券  1,800円  1,200円  800円
※連携セット券は、ヨコハマトリエンナーレ2014と創造界隈拠点連携プログラム「BankART Life IV」及び「黄金町バザール2014」にご入場いただけるお得なセット券。各連携会場で会期中有効のフリーパスと引き換えます。
・ヨコハマトリエンナーレ2014チケットは、1会場1日有効
・中学生以下、障害者手帳をお持ちの方とその介護者1名は無料
・ 会場で20名以上同一券種の当日券購入の場合、それぞれ200円引きとなります。
チケット取扱窓口
横浜美術館、新港ピア(当日券のみ)、BankART Studio NYK、黄金町エリアマネジメントセンター、象の鼻テラス、ヨコハマ創造都市センター、急な坂スタジオ他。詳細はhttp://www.yokohamatriennale.jp/2014/outline/ticket.html
開催場所主会場: 横浜美術館、新港ピア(新港ふ頭展示施設)
アクセス横浜美術館: 横浜市西区みなとみらい3-4-1
 みなとみらい線(東急東横線直通)「みなとみらい駅」下車、3番出口より徒歩3分。
JR線および、横浜市営地下鉄線「桜木町駅」下車 <動く歩道> を利用、徒歩10分。
新港ピア: 横浜市中区新港2-5
 みなとみらい線(東急東横線直通)「馬車道駅」下車、6番出口より徒歩13分。
その他はhttp://www.yokohamatriennale.jp/2014/outline/access.html