宮永愛子 展 なかそら ー空中空ー

宮永愛子(1974~)の作品は時間と共に変化していきます。例えば、2003年に発表した「靴」を題材とした作品で用いられているナフタリンは常温で 昇華するため、最初の形が保たれません。《シンデレラ》と名づけられたその作品は、誰もが知っているように夜中の12時を過ぎて魔法の切れた主人公が王宮 の階段に落としていったガラスの靴を直喩すると同時に、戻ることのない時間の非情な流れを象徴的に示したものでした。有名な物語と自ら崩れていく靴、とい う組み合わせによって自己の方法論を印象づけた宮永は、次の段階では、窯から出た焼物が長期間きれぎれに奏でる微かな音(貫入)をテーマとしたような作品 も試みています。事物の形姿が変化する様が聴覚を通して認識されるという体験を、美術作品という枠組で普遍化しようとしたのです。
変わり続けていく自身の作品を思い描いて、宮永は「なかそら」という言葉を紡ぎ出しました。古語に「なかぞら」という言葉があります。それは、どっちつ かずで、心が落ち着かない様を意味しますが、宮永の「なかそら」も、それに近似した未だ揺らぎのある言葉です。そしておそらく、万物は全て変化を続けなが ら存在している、ということを象徴する宮永の作品は、全て「なかそら」の状態にあるのかもしれません。
本展は、そのような時と共に移ろいゆく姿を表し出す作品から、去年発表した金木犀の葉脈を用いて作り出した巨大な布状の作品《景色のはじまり》、そして新作まで、「なかそら」という言葉を介しながら、見る人の感性を揺るがすような6つの作品群によって展観いたします。
http://www.nmao.go.jp/exhibition/exhibition_b2.html
開始日 | 2012/10/13 |
終了日 | 2012/12/24 |
エリア | 大阪府 |
時間 | 午前10時~午後5時 金曜日は午後7時まで (入館は閉館の30分前まで) |
休日 | 毎週月曜日(ただし12月24日(月・休)は開館) |
その他備考 | 当日:一般420円/大学生130円 * 高校生以下ならびに18歳未満、65歳以上、心身に障害のある方とその付添者1名。 いずれの方も無料 (ただし、証明できるものをご提示いただく場合があります)。 * 本料金で「コレクション展」もご覧いただけます。 * 無料観覧日:10月13日(土)・11月3日(土)・11月17日(土)・11月18日(日)・12月1日(土) |
開催場所 | 国立国際美術館 |
アクセス | 〒530-0005 大阪府大阪市北区中之島4-2-55 TEL:06-6447-4680(代) http://www.nmao.go.jp/info/access.html |
12月9日に観てきました。(盛況なエル・グレコ展はスキップw)
宮永愛子の過去最大の展覧会。「なかそらー空中空」(←最後の”空”は鏡文字になっている)には、再構成した新しい作品なども含まれる。
まず入口から長ーーいガラスケースの中にナフタリン彫刻たちが。ジグソーパズルを並べた(すべてナフタリン)線上にこれでもかといった日常のカタチが並ぶ。空気に触れる時間の経過とともに昇華しつつある状態の結晶が美しくアクリルケースに付着していく。ケースを覗き込むと万華鏡のように永遠の連続画像がみえてきて圧巻!
この横長の作品を過ぎるとこんどは縦長に。アサヒビールや資生堂でも発表した天井と床をつなぐ縦方向に糸を張ったディスプレイ、各地の川や海から精製した塩の作品。
そして、昨年のミヅマアートギャラリーで発表した葉脈のカーテン。ハシゴがかかっているだけの作品。何かちょっと言い足りていないくらいの感覚が悪くない。。
今回いちばん感動したのは、蝶の羽を象ったナフタリン彫刻「ぬくもりのゆくえ」が再構成されてより新しいインスタレーションに生まれ変わっていたこと。暗い展示室のなかで仄かに発光して視えるような不規則性と連続性が印象的。
私はこの作家の作品製作を手伝ったことがあるのですが、コンセプトや思考を長々と説明されるよりも静かに作品に向き合うほうが良くて。何せ化学物質や型取りといったガテンな現場はあまりロマンチックな作業ではない…涙
(展示はすべて撮影可能。クリスマス前の中之島はライトアップもするようなので
夕方めざして行くのもオススメ。川縁に沿って「なにわ橋」の駅まで歩くと、やなぎみわが芸術監督の「駅の劇場」につながってココもクリスマス前あたりに公演がある。)
今回は見送ろうかと思っていたものの、会期が終わりに近づくと落ち着かなくなってしまい、ええーいそれなら、と日帰りで大阪まで行ってきました。入り口入ってすぐの長ーーいガラスケースはこれまで何度も展示している日常品をナフタリンでかたどったものたちですが、いつも会期終わり近くに行くので展示室はナフタリンのにおいがし、かたちはくずれてようやく何物かがわかるようだったのが、今回は長ーいケースのはじめの方にあるジグソーパズル(ここにかたまりがあり、ケースの終わりまでピースが並んでつないでいます)やノート、フマートフォンなどは原型のままで溶けだしていません。終わりの方の傘や帽子やペットボトルにあたりになるとかなり昇華があってナフタリンの結晶がガラスケースの内側に雪のように付いるものの、原型はほぼとどめています。これって偶然ではなくて空気をコントロールしているかなにかなのでしょうね。これまで単体の物が変容していく展示で鑑賞者はそのスナップショットを観ていたのが、今回は同じ時間が流れているものの(ガラスケースの中は別なのか)絵巻物のように一枚の帯状のステージに見慣れた日常品たちの昇華の経過を追う展示となっています。いままでくずれた形を見てはかなさや危うさ、もろさ、を感じていました(もとは工業製品ですが)が、こうしてかなり元のままの形を観ると(終わりにあるものも形はくずれていない)、強さやしなやかさがあり、感じ方が変わったのが意外でした。